“君知るや名酒あわもり”

ナカダミサオ

2022年09月29日 08:49

沖縄県医師会報 8・9月号 緑陰随筆に寄稿したものです。

“君知るや名酒あわもり”


 父の家の物置には二升から一斗の泡盛甕がところ狭しと並んでいた。昨年の暮れにカビが生えた甕を見て、80を過ぎて物忘れが多くなった父が仕継ぎどころかみてもいないことに気づいた。父がことあるごとに自慢していた40年ものの龍を巻いた一斗の親甕(アヒヤー)を残し、他のクースを仕継ぎがしやすいよう酒造所の違いを気にせず古い順にブレンドして我が家オリジナルの年代別の一斗甕を6つ作ったが、それぞれの酒造所のクースを楽しめなくなったことを思うと大変もったいないことをした。
 沖縄独自の黒麹菌を使った米麹に、水と酵母を加えてもろみを作り発酵させ、単式蒸留機で蒸留した酒が泡盛である。米の糖化に黒麹菌のみを使うのは世界中で泡盛だけで、製造法がシンプルな泡盛は世界に誇れる特異な蒸留酒であり日本の焼酎のルーツでもある。かつて江戸上りで必ず献上され、 “君知るや名酒泡盛”のタイトルで発酵学・酒学の泰斗が論文を書いたほど上質な酒である。そんな泡盛だが、蒸留直後はガス臭が強く味は荒々しくとても飲めたのもではない。新井白石が “密封七年にしてこれを用ふ”と南島誌に書いているように、寝かせて、熟成させて真の泡盛、クースになるようである。香味成分が酸素下で変化し“甘くて芳醇な香り”に、アルコールと水の分子がクラスターを形成することにより “まろやかで柔らかな味”のクースとなる。蒸留後3~6ヶ月で刺激的な強いガス臭が抜けて(初期熟成)、6ヶ月~3年で油脂成分の酸化分解などにより丸味がでてきて(中期熟成)、3年位で香味成分が安定し濃縮されてくるとクースらしい味と香りになる(古酒化)。その後“甘くて芳醇な香り”はゆっくりとさらに濃縮され、 “まろやかで柔らかな味”はより一層強くなる(熟成期、7年~)。しかし、泡盛の熟成にはピークがあり貯蔵が長ければ長いほどいいとは限らない。バニラの甘い香りを指標にピークを見極め、酒質の維持・活性化、アルコールの補填のために先人が生み出した方法である仕継ぎが必要となる。
 泡盛の熟成に最も適している容器は、通気性があり香味成分が変化する際に触媒となるミネラルを溶出するような南蛮焼きとも琉球南蛮とも呼ばれる荒焼(アラヤチ)である。粘土で形成された甕は焼成すると粒子同士が接着して、徐々に粒子同士の隙間がなくなり収縮し、粘土によっては器が半分ほどになることもある。焼成温度は1100~1300℃で土によって違うが、適正温度より低ければ隙間が多く水が漏れ、高ければ閉じ込められた空気が膨張して接着を壊してやはり水が漏れ、さらにはひびが入り割れてしまうこともある。昔ながらの登り窯で焼成される荒焼はこれぞ沖縄甕という趣があるが、温度管理が難しく大きな甕を作るにはさらに巧みの技が必要で、労多くして益少ないこともあり、近頃は作陶されなくなっている。
 “長く寝かせたクースは起こすのに時間がかかる”ため、仕継ぎしたクースをチブグァーの量ほどショットグラスに入れ、その香りをかぎつつ飲み頃になるまでの時間、オンザロックにした市販のクースを飲みながら待つのが私流である。10分、20分と経つに従い甘く芳醇な香りが強くなり、さらに手のひらでショットグラスを温めるとますます香りが広がり、思わずちびりちびり口に含んでしまう。ねっとりと甘く、甘く芳醇な香りが鼻へ抜けると思わず笑みが漏れる。数口で飲み干してしまうが、“貴重な酒は重ねて所望しないのが作法”、知足と心得、残り香をかぎながらもう1杯オンザロックを飲んだら一日が終わる。